20歳代中ごろから月数万円の書籍代を払いながら本を読んできました。ほしい本、気になる本は確実に買って手元に置くタイプ。
立花隆というジャーナリストが何かの本で、「神保町でテーマの関連本をすべて購入する」と書かれていて、書店に1回足を向けると2万3万の本代になる、といっていました。
「 書店に行くと2万3万の本代になる 」というのは当たり前だと私は思っていました。休日にデートする当てはなく、友達と遊ぶのも習慣にはならなかった。
パチンコ店は嫌い。大した趣味もなし。
行くところが無い。だからいつもひとり書店に行くしかない。小説が好きとか読書好きではなく、居場所がないだけ。
何かに悩むと人に相談するのではなく、本からヒントを得る、ということを当たり前にしてきました。それしか解決方法がなかったから。
いまも基本は変わっていない気がします。というか、今の時代って昔の私がしていたことが、当たり前化したように思います。
高校生の頃手にした本、加藤秀俊さんの「独学のすすめ」とか、なだいなださんの「からみ学入門」とかを面白く読んだ記憶がある。
ブログ運営って、独学の要素がある。学校では授業にない。変なセミナーってダメダメです。金を巻き上げられる、でおしまい。ひとりで調べてみるのが一番。ネット情報で簡単に調べることができる現在って、なんて恵まれているんでしょう。
なだいなださんは精神科医で作家。日常的な些細なことでも、「それってどういうこと?」とツッコむのが「からみ」。
空気のように無名性で生きずに、堅物になる勧めが「からみ学入門」でした。意識してなかったけれど、今の自分はコーした本で形作られているナって思います。
「本は買わなければ身にならない」という考え方があります。私も以前は同意見。
良い本は、購入すると、出版社にも著者にもお礼ができる、といった経済の部分で買った方が潤う。でも、ソレとコレは話しが違う。
買わずとも、本はちゃんと読めば身になるんです、当たり前。古文書の研究者は国宝級の書を所有できないけれど、ちゃんと研究できている。
最近は、買わずに済むに越したことはない、というフーに変りました。
読んだらおしまい。でいい。無執着。
何度か読み返す可能性のある良書と直感したら買う。
書店は郊外でもどんどんと少なくなっているけれど、買いたい本を探す手間も移動して出向いて探す必要も今はホボありません。便利になりました。
読み終えた本を何度も読み返す、という事は良いことではない気がする。過去を振り返るよりいつでも今だけでいいと思います。何かに捕らわれ過ぎカモ。今日購入予定にしていた本を図書館で試しに探すと在庫がありました。
待ちは1名のみ。購入を取りやめて借りることにし予約しました。忙しいとか近くに図書館も大型書店もない人は買うしかないのかもしれません。
超多忙で時間がない時ほど、ネット購入が便利だと思ったことはありません。
本は買いたければ買い、借りたければ借りる。さらに、どのように読んでも自由です。ブログ運営では、みなさんネット情報から情報収集して記事を書いているのだと思います。
ソレって真似できる。
差別化するには、ネット以外から情報収集すると、場合によって第一人者になれますよね。本の情報、ベストセラーではない本で良書を選ぶと、独自のブログになってゆきます。
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