最軽量のマネジメント 山田理著

副業(ブログ収益化)

会社仕事が減る時代の働き方

私が新卒で就職した頃の日本の社会全体が、ホボ終身雇用制度下にあって、就職すると人生を預けるようにして一生その会社の一員として働くことが常識とされていました。

いい会社に就職することは人生最大の問題でした。ソコで唯一ものをいうのは学歴。高校生までの勉学が人生を決めた。

未だに、いい会社にお勤めの方々は似たように考えていると想像します。そんな常識の中で、個人的には、会社を利用しながら働く、という考え方で働いていました。

なので、イヤになって、さらに、したいことができたタイミングで会社を辞めました。会社より自分の人生を優先する。

本書は、「キントーン」のテレビCMでおなじみのサイボーズでマネージャーをしながら、離職率28%から4%に改善してきた山田理さんの経験に基づいて会社の中の人の在り方を語る内容。

山田理さんは私よりも仕事寄りな考え方で物事を追求されてきたと感じます。 終身雇用制度下 にあっては、それが絶対的に正しいと、私よりも強く思っていた。会社ありき、会社寄りの起点があった。

ソコから改善策を探し実行し、反応を感じ取り、さらに変化していった、そのような内容にお見受けしました。

私は会社勤めをしてきましたが、個人事業主として働いていた時期もあるし、定年後は起業して働き続けたいと考えています。

スモールビジネスを始める予定だけれど、その事業が大きくなって人を雇う事になった場合の参考にはなる。

私の新卒の頃は「新人類」と揶揄されていました。時代の変化は急激で、あいまって世代が変わると使う言葉の関心事も違う。

コミュニケーションがうまくいかないことがある。生まれた生まれた時代が違えば価値観もおそらく違うので、若い人と一緒に上手くやっていく術が知りたい人には半歩先の未来を見据えながらの一読をお勧めします。

日本の企業は否応なく世界の市場化の波に吸収されてゆく。大企業ほど、国によって守られているので、痛みは大きいし変化しないで固持すると最悪なくなるでしょう。

時代の変化を敏感にキャッチしているのは冴えた若い頭脳であることが多い。経験値が低く、考え方も甘くみえる部下であったり後輩社員からでも何かを吸収する、謙虚な貪欲さが先輩社員には必要な気がしています。

新入社員がイアホンで聞きながら仕事をするのはアリ?

実は勤めている会社の人で、イアホンを聞きながらパソコン仕事をしている人がいました。ちょっと変わっているナ?と思いつつ気にしない。

仕事で一目置かれていたその人のイアホンを注意する人はいませんでした。

サイボウズで、親入社員がイアホンを聞きながら仕事をしていた。すると、営業メンバーから「あれはどうなの?」とマネージャーの山田理さんに問われた。

客先であれば、顧客に対しての見栄えは気になる部分です。即座に、「仕事中だからイアホンは外して・・」とはしなかった。

現段階で問題がなければ、そのままで良い。開発で音楽を聴きながら作業するこのは普通なこと。「仕事中にイアホンを付けるべきではない。」と感じてみている人もいることを本人に伝えておく。

ヒアリングによって社内ではいろんな意見が出てきました。

あなたはどう思うタイプでしょうか?

マネージャーには説明責任、メンバーには質問責任がある

今勤めている会社で私はマネージャーをしています。チームはうまく行っていない部分があります。そもそもチームワークが大事だとはあまり思っていません。

一体感なんかなくってよい、個人の仕事をしっかりやれば十分。と思っているけれど、離職率が高い当社。当社にとっての私にとっての課題と以前の山田理さんの問題は似ている。サイボウズさんの離職率4%へ向けた改善策は興味深い。

本書を読んで参考にして先日、意識して、情報をオープンにしてみました。すると反応が変わった。小さなどうでも良いようなことでも、情報共有することで少し何かが変わりました。開陳効果。

本書で面白かったのは、上司の説明責任と並列して部下にも質問することに責任がある、ということ。でも、部下や後輩社員に質問責任を強いることはできません。

けど、国家として置き換えて考えてみると、議員や政策に向けた質問、問う意識。こうした下からの突き上げがなければ、良い国家は生まれないと感じます。

代表者=議員の説明責任も大事。国民の「コレどうなのよ?」という質問するための強い関心、政治参加当事者としての他人事ではない本人事感はもっと大事。話しがソレましたかね。

ホワイトでなく透明な企業

ブラック企業とホワイト企業。ほとんどの企業にはブラック性とホワイト性が混在していると私は思います。会社のトップの人格・人間性が大きな範囲で色を染めます。

山田理さんはホワイトではなくって透明性という公明正大性が大切だという考え方。善悪の価値基準のまえにオープンであることが前提だ、と言いたいのでしょう。

透明性というのは、どこの生まれで学校はどこで家はどこでどういう価値観で・・・というスケルトンですよね。でも、しんどそう。

曖昧さという、人のブラックボックスな部分があるからお気楽で済ませられることって大きいです。不透明をやり過ごす。それが大人。

世界史観により国家の体制変容で民主主義が最高という考え方に似ています。都市には無名性による安堵感ってあります。

誰とも知れないで電車に乗る。どこの誰とも知られずにコンビニで買い物できる。無名性というのはストレス社会での1つの癒し。

どこの誰とも知らないけれど、映画が突然に見たくなれば、身分を明かしたり住所を記入せずチケットが変えてみることができる。

透明性ってオープンで一見良さゲに感じるけれど、しんどいです、たぶん。田舎の小さな村の寄合。砕けた話しもするけれど、めんどくさいことも引き受ける。

私は、無名性のホワイト企業が良いと思う。誰がいつどのような提案をしたかしらないが、ひとりひとりへ向けられたやさしい仕組みが作られてゆく。

民主主義って人類の叡知だと私は長らく思ってきましたけど、ソーでもない、と今はわかっているつもりです。会社から国家へ、また脱線してしまいました。(笑)

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