6歳上の従兄弟は、昨年からリタイアして毎日が日曜日な日を過ごしています。4人の子沢山だからする事はあるんでしょう。
シングルと家族持ちと連れ合い有りでは、三者三様の良さは有るでしょう。
若い頃は、会社が煩わしい。毎日が日曜日で好きな事ができたなら、どんなに素晴らしいだろか、と考えていました。
お金があり、財力があると、働かないホーが良いのでしょうか? ソーでもないかもしれません。
私は、学校でもあまり喋らない生徒で、雑談が苦手なほうです。ところが、今の会社の仕事は、早口で話し、聞き、話す、という仕事。
何処かのコールセンターの3倍位は電話の対応数があり、さらに、3倍位は早口だと思っています。
普段は話さないけれども社内で一番早口。凄く早口なのは、職業柄。殺人的にバンバン電話が鳴るし、効率的に捌く必要性があり、自分なりの今のスタイルになりました。
だからと言って、話し好きではなく、出来れば静かに無口で居る方が自然。聞いてほしい、繋がりたいという感性がほぼ有りません。
好きで醸成されたスキルではないからドーでも良いと思ってきた。けれど、実は今の好調で活発な自分を作り維持している大きな要因に仕事があるのかも?と思うのです。
リタイアし今の仕事を辞めると、早口な会話が生活から無くなる。それはそれで、かなり大きな変化にはなるでしょう。
私は比較的頭の回転が速いですたぶん、この早口仕事も関連していると感じています。今の精神闊達な幸福な活発な状態は、好きでもない向いてもいない未練の無い仕事からの恩恵を受けている気がしている。
頭で考えるから話せる。話しを早くし効率よく仕事を進めるには、かなりさまざまな事を頭で段取る、だから頭を鍛えている。
今の仕事は性格的には合わないです、たぶん。でも、良い副作用がある。必要上、話すことが速くなり頭の回転も速い鍛えるから、仕事が無くなると急激に馬鹿になりそうな予感がする。
元もとはなかったスキルを鍛えられる仕事、という視点で考えると好きでもない仕事が、無くてはならない営みに思えてきます。
こうした事、良い副作用のある営みは、リタイア後もしていると、生活に張りができるし、頭にも健康にも良いだろうと思うのです。
読書って頭は使う。作文も。パソコン仕事もそう。でも、ハプニングというか、予期せぬ対象、対象からの新鮮なアクションに臨機応変に対応する事って無い、たぶん。
仕事から離脱して毎日が日曜日って、一見理想的で憧れるけれど、かなりヤバい感じってないだろうか?
65歳以後も、ハプニングやら、困りながらもしょうがなく仕事を進める、ということがあるから元気でいられる。好きや楽の外側に自分の居場所を持ち続ける、って簡単に見つけられないかもしれないが、有ると無しでは大違い。
隠居ではなく陽居。隠居ではあるが、隠れず前に出ている部分のある、新しい隠居のカタチ。
新しいカタチ
を考え置く事は大事だと思うのです。
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