見えない聞こえない大学教授世界初
宇宙人についての書籍を読もうとして検索にヒット。手に取って読み進むと、何かが違う。全盲ろうで指と指で会話する”指点字”が映画”ET”で、宇宙人がエリオット少年と指を触れあう様に似ている。
ETの植物学者である宇宙人と著者自身をもじった署名と気づいた。一瞬読むのをためらたが、面白い。
なぜ、その時宇宙人に興味があったのか忘れました。リーマンショックの1年後、やっと見つけた仕事は勤務中本が読める。
3日で10冊読むと決めて、手当たり次第に読みたい本を探していたことだけ覚えています。著者の福島智さんは2021年8月現在58歳。
リタイア間際の同世代。当時もっとも感動した本の1つ。福島智さんは、子供のころは目が見え耳も聞こえる少年でした。
徐々に目が見えなくなり、耳も聞こえなくなる。福島さんのお母さまが指点字という会話法を考えだし、勉学優秀。
世界で初めて、全盲ろうの大学教授になっています。どのような境遇・運命であっても幸福に生きる道はある、ということを気づかせてくれる一生の1冊。
ユーモアーで生きる
私の母方の叔父は障害者でした。脳に障害があり、言葉もしゃべれない。トイレもひとりでできない。突然大声を上げる、怖い。いつもよだれを垂らしている。
夏休みにその田舎に行く。意思疎通ははかれない。じっと見ているだけ。小学生になった私は、どうにかしてその叔父と遊びたいと思った。
ビー玉を襖のくぼみのレールに転がす。何度も繰り返す。すると叔父が気づいて、ビー玉をこちらに転がす。繰り返す。何かが通じ合えた喜び。
何年も経て母が言っていた「工場からの汚染で被害者が何人もでたの。でも、親は訴えなかったの・・・」。健常者で生まれるハズの叔父は産業発展の負の側面を被り障害を持ってしまったのか?
社会的に他人のセイにしなかった祖父母は、どのような心境だったか知らない。訴えることで社会は改善するかもしれないが、訴えないことが良かったとも私は思った。
私の従兄弟も脚に障害がある。彼は叔父と同じ地方で生まれ受験で東京に来た。膝で折り曲げる義足を付けている。6歳年上のその従兄は学業優秀で政府系企業に就職し結婚し子供が3人。
大学生の頃よく家に遊びに来ていた。いつも穏やかで笑顔、ユーモアーが絶えない。新社会人になった最初の給与で叔母の母にプレゼント、母はえらく喜んでいた。
本著に戻ろう。
月曜日は生ごみの日。朝起きて私は、あわててポリ袋にゴミをつめる。
無精だから、ゴミがたまって、袋が2つ3つになることもある。
それを右手でわしづかみ。
持ちにくい。しかし、結び目のところを気合をいれて握れば、だいたい、4つくらいまでは持てる。左手には杖。その恰好でアパートの階段を下りていく。
降りるときは慎重だ。本当は、思い切ってかけおりたいところだが、大家のお婆さんでもいたら、突き落としてしまうからだ。
「ゴミ袋殺人事件」
では小説にもならない。
一機に読みたくなる面白さ。
神のシワザではない業(ごう)
自分が突然眼がみえなくなったら・・・、ガンで間もなく死ぬとしたら・・・と想像してみたことはあるだろうか?
わたくしは思春期のころ想像してみたことがある。果たして平常心で生きられるだろうか?誰かと比べて理由を探し当て、努力を放棄しないだろうか?
眼が見えたり耳が聞こえることの幸福感を実感した。真っ暗闇の部屋で自炊をする。トイレに行く用を足す水を流す。
どこに何があるか覚えていなくては何に一つ進まない。目が見えない障害者は電車で移動する時、駅の音の違いでどの駅かわかるそうだ。
福島智さんと親友の田中竜男さんの議論がおもしろい。
確かに、障害を持つことは不便なことだ。しかし、不便なことと不幸とは違う。
障害の有無と幸、不幸とは、本来関係のないものだ。
しかし君、それじゃ聞くけど、今もし、神が君に眼と耳を授けてやろうと言ったらどうするんだね?
僕は拒否するだろうね。
それは、盲ろうとしての僕の”死”を意味するからね。
それに、第一そんなことを神は言えないはずだ。
なぜなら、僕を盲ろうにしたのは神なんだし、その神が盲ろうとして僕が
生きることに何らかの意味を見出したのなら、
それを消すようなことを言うのは、
神の”自己否定”につながるからね。
なるほど、しかし、それは結果論じゃないのか?君は自分が今盲ろうだから、その事実を”合理化”しているだけなのじゃないかね?
人は本来は健常者として生まれるようにできています、たぶん。幸不幸というのは、現実は1つなのに対して、
様々な思いによって価値観によって変えて見えている心模様。心模様以外の確かな現実もある。因果法則がある。したことの結果。それがいつ現れるかは誰にもわからない。
けれど、した、思った結果は自ら返ってくる。初期仏教ではそのように解しています。(私は出家していないので個人的は感想と思って頂いても構いません)
神は仏教では否定的。そんなものは人間の幻想だという立場です。業=カルマは神ではありません。
メジャー作家小松左京を泣かす
全盲ろうの福島智さんは、誰に励まされて生きてきたのか?
SF作家の小松左京さん。健常者ではなく異次元の世界で生きていると福島智さんは自分の世界を表現しています。そしてSFが大好き。小松左京さんを最も尊敬しています。(左派からは”小松右京”と揶揄されていたので意外な感じを私は受けました)
福島智さんは、研究会の教授が小松左京さんと知り合いで、奥様とお店にいる小松左京さんから突然のお誘いを受け合う事に。
眼がみえず、耳が聞こえないっていう、盲ろうの状態自体が、いわば、
”SF的世界”ですからね。
でも、いったんそう考えてしまうと、なんだか楽しくて、明るい気分になってきますし、
不思議に生きる勇気や力がわいてくるんです。
どんな状況におかれても、きっと何か、新しい可能性がみつかるはずだっていうふうに・・・。
・・・圧倒的な逆境に立ち向かう人間の姿のすばらしさ、そして、人の人生や幸福というものの意味を考えさせられるモチーフが裏になると感じました・・・
小松左京さんは、この福島智さんの言葉を聞いて、泣いてしまった。1980年、まだ目の見えた福島智さんは池袋の映画館で友人と小松左京さん原作の「復活の日」を見ている。本著を書き上げたのは福島智さん32歳とこと。
58歳の福島智さんは今のコロナ渦に何を思っているのだろうか?
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