2021年11月にホボ思い付きで湯河原と決めて、湯河原温泉の上野屋さんにお世話になりました。
大正昭和の木造建築と効能確かな温泉宿、上野屋さんに空室があり前日にネット予約し、一人旅を湯河原で過ごしました。
私が案内された3階の和室は、畳に青さが残っており、懐かしい鏡台とダイヤル電話。整備行き届く、落ち着ける空間でした。
上野屋さんは歴史が古い。大正から昭和初期からの建築。使い込まれ磨き継がれた床に手すりに階段は、どこか懐かしい。その昔ながらの階段は、かなり急。
長めの浴衣の裾を踏まない注意が必要です。
窓から絶景は望めません。部屋から景色を堪能したい人ではなく、室内でくつろぐ、温泉効能を感じる、何もせずのんびりする宿なのでしょう。
屋上の足湯からは、周囲の旅館屋根の上に山並みを眺める事ができます。
木の温もりと古さに安堵や親しさを感じる人なら、一度は泊まって欲しい旅館です。
日曜泊で、他の客は二人連れ女性、3人家族位。 上野屋
温泉は玄関先に1つ、4階に貸し専用が2つ、足湯が5階にある。源泉掛け流しで、少し熱い。
ぬる湯短め浸かりの私にはかなり熱く、ゆっくり入ることはできませんでした。
膝が真っ赤になる温泉は、久しぶり。美肌効果の高い温泉で、幾度も、雑誌や書籍に取り上げられている。
膝の持病に効いたかはわからないが、帰りの体調は軽かった。
敷布は硬めで厚みがあり、掛け布団は軽めの綿。枕は蕎麦殻で高目。
温泉はチェックアウトまで、締め時間は無く、いつでも入ることができる。
貸し専用風呂に夕食前に間隔を置き、2回入る。藤木という風呂場が広く湯船も大きいので家族で入りやすい。
食事所は、畳敷にテーブルで、素足で椅子席。目隠しの仕切りがあり、一人旅にはありがたい。
夕食は、質と量が標準的、というところ。
刺身のお造りは鮮度が良い。朴葉味噌の白身魚も美味かった。
大食したい人には物足りないが、少なめプランをあらかじめ知りながら決めた。
利酒セットは578。大吟醸の当地酒を選ぶ、正解。香りと味の特徴が違って美味かった。
朝食は、8時からで遅め。翌朝から観光の予定が有る人で朝を早くしたい人には合わないかもしれない。
朝風呂が好きなら朝食を挟み2回浸かる余裕が出来るだろう。
朝食も普通。納豆は無く、鯵の干物焼きが一番美味い。蟹入味噌汁も抜群。新米の米が更においしい。
総合的には星4つという感じ。
今回の旅行は中川一政美術館に行く事だけ決めていた。
5年程前に、湯河原の別の旅館に泊まって、中居さんから説明を受け、電車とバスを乗り継ぎ、美術館に到着するとあろう事か、魔の定休日だった。
新社会人なりたての頃、中川一政さんはテレビで特集されたり、大学の先輩と話題にあがったことが有る。私は文系で部活は美術部。
社会人なりたての頃、中川一政の本が気に入っていた。
今では全く絵画から遠ざかってしまったが、年を経てどんな何を中川一政の作品から感ずるだろうか?という興味・気分もあった。
今回は、休館日では無い事をしっかり確認し、会うべくして中川一政の作品と対面。
明治生まれの氏は、岸田劉生に見出され、若くして展覧会で入選している。美術学校に入学したり、専門的にデッサンを学んだりはしていない。
日本の美術界は、人脈でできている。ある程度力量が認められると、その会の権威者が自分の趣味嗜好で賞を授けるようなところがある。
日本ではメジャーな現代洋画界は、世界的には浮世絵程も認められてはいない。
日本ではマイナーで評価されない本格派が世界的に認められることがある。中川一政作品や岸田劉生作品の世界的コレクターはまずいない。
何で画面が暗いばかりの作品なのか?平面的で何やら分からない。何故文化勲章受章者になれたのか?世界的に評価されているのだろうか?
といった感想。
中川一政さんは、絵には死んでる絵と生きてる絵があり、生きている絵を描きたいと言う。
分かるようで、曖昧で、よく分からない主観的観念的な視座。思いは何となく分かる気がする。
絵に生命はない。物資だ。だから、絵画作品は、全て、生きていない。
何か色の有る石を見て、刺激を人は受ける。川岸で、変わった石を見つけ、面白いと感じる。
ダイヤモンドという宝石に鑑定書が付くと、途端に、石に留まらず、宝飾品に変わる。
ダイヤモンドに、生きているダイヤモンドと、死んでるダイヤモンドと言う区別や比較をした事はない。
といった事を中川一政美術館で感じ考えた。
岸田劉生は、自著もあり教科書に作品が掲載されている日本で有名な絵描き。
世界的評価が高い絵描きでは無いだろう。
岸田劉生は、目に見えない何かを表現しようとし、後に精神的な病いを得、若くして亡くなった。
中川一政さんの言う、生きた絵は、岸田劉生さんが言った事に似ている。
普通では無い何かを込めた絵。死んだような絵がどんな絵か知らないが、生きている絵が良くて素晴らしい、と言いたいのだろう。
その「生きた絵」には、戦争体験が無関係では無いだろう、と思った。沢山の死を見てきた。死者の分まで生き生き生きる。その思いを絵に乗せる。ということなのか?
その「生きた絵」にはもう1つあるような気がした。
アカデミックな西洋画の数理的な絵画解釈。技法。こうした西洋絵画のスタンダードが無いあるいは不完全だと絵の価値はないと言えるのか?
技法が拙い絵は、良い絵と言えるのか?と言う問い。その問いの答えとして「生きた絵」が良い絵としたのだと思う。
日本人の英語はぎこちない事が多い。優っているのは御当地のネイティブイングリッシュやそれを真似た発音。確かに発音がご当地らしいと、耳障りは良い。
ただし、会話の内容や相手への優しさは、耳障りより大事。日本人の西洋絵画はぎこちないかもしれないが、内容で勝負する。
といった事などを感じながら絵画鑑賞を終えた。
湯河原温泉は、多くの文豪・芸術家が愛した温泉で、確かな効能があります。都心からも比較的アクセスがいいので、お勧めします!
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