瞑想の目的ってなんだろう?

ヴィパッサナー

いつも当ブログにご訪問頂きありがとうございます。春めいた日が続くようになりました。花粉症の方々にとっては良いことばかりではないようです。みなさんいかがお過ごしですか?

テーラワーダ仏教協会の長老、アルボムッレ・スマナサーラ長老は確か35歳でスリランカから国費留学で日本に来られています。若い頃のスマナサーラ長老のyoutube動画が公開されていますけれど、

電車で足を踏まれることも過去の因縁によるのだ、とおっしゃられています。今生で出会う人々、こうしてブログで出会うことにも過去の因縁があるのだとおもいます。

瞑想というと、自己実現が目的ということで、将来のなりたい自分をイメージすることがあります。観音様などをイメージしたり、ろうそくの炎を目の前に置いてイメージしたり、太陽をイメージしたり様々です。

テーラワーダ仏教=初期仏教=上座部仏教=南伝仏教(≒お釈迦様の教えをそのまま伝えてきた仏教)で言われている瞑想の目的は、これら一般的な瞑想と違いがあります。

現在脳科学では言われていないので違和感があるとおもいますけれど、原始脳から大脳へと脳細胞を活性化して開発することが目的です。

獣の脳から理性の、人間の脳に変わると、

・悩まない。

・落ち込まない。

・怒り・嫉妬・憎しみなどの感情に左右されない。

・振り回されない。

・落ち着いている。

・すごく安穏を感じられる。

・興奮しない。

・恐怖感がない。

・心配がない。

・いつだって正しい判断ができる。

・何か突然予測しなかった問題が起きてもすぐ対応できる。

というように能力が向上します。

わたくしは、まだまだ初心者に過ぎません。出家していないし在家というほどのことでもなく、外野席でプロ野球を観戦しているファン程度です、正直いまは。

そうであっても、慈悲の瞑想を続けて、ヴィパッサナー瞑想も続けています。なので、多少は能力が開発されていると実感しています。

普通にオフィスで仕事をしていても、不要なことは考えないようになっているので、仕事が速いです。電話で用件を済ませる、メールを送信する、的確に判断する、文字を入力する。どれも、普通の2倍から3倍のスピード。

標準的な同僚の10倍くらい速いかもしれません。テーラワーダ仏教での瞑想は、「考えない」ようにする瞑想です。イメージするっていうのは考えているんでヴィパッサナー瞑想ではありません。

これまで人類が、あなたが、わたくしが、考えてきたのは原始脳による考え。感情による思考。なので、原始脳の活動を弱めてゆく。そして、人間本来の大脳の活動を高めてゆく。すると感情人から理性の人格に変ってゆきます。

不思議なことに、考えないように瞑想していると、とっさに正解が思い浮かぶように変わります。集中力が高まる、と言っても良いでしょう。

昨日、職場で、こんなことがありました。

わたくしの仕事の内容が雑なので、もっと詳しくヒアリングして欲しい、という注文です。わたくしの上司からチームへのお願いメールでした。

その内容には問題点がいくつかありました。

昼と夜、平日と休日でのオペレーションの仕方が異なることを理解していない。協力会社と当社の契約内容を熟知していない。2つの問題点があり、「わたくしの仕事の内容が雑」だと誤解している、とすぐわかりました。

で、その上司にまず電話をして説明して納得してもらいました。

それから、昼と夜、平日と休日でのオペレーションの仕方が異なることの説明とその案件での正しい連絡方法について補足をして返信メールをしました。不明な点は個別に説明します、と最後に付け加えました。

こうしたことを感情的になることなく、サクサクしてゆく。メールの内容にも感情を入れない。聞き分けのある上司だからソーしたけれど、こじれそうな上司の場合であれば、直属の上司を仲介して・・・といったことも考えての事。

テーラワーダ仏教は自力救済を進めながらも災害支援のためにも活動しています。日本の教科書では「小乗仏教」と言われてきた仏教です。

素直な少年だったわたくしは、教科書を一読して、「大乗仏教の方が良い仏教」と理解していた。でも、仏教ってお釈迦様の教えだったハズなんです。

ところが、いろいろな人が自説を展開し、元々もお釈迦様の発見したことが良くわからなくなってしまった。

テーラワーダ仏教の根本は他力本願ではありません。お釈迦様が発見した真理の教えは自分の能力を自分で開発する必要があります。という考え方です。

なので、信心はありません。神を拝むようなことはない。あえて言えば、自分を信じて精進する。お釈迦様実践し確かめて検証し、その先の教えもきっと正しいだろうと類推しながら検証し確かめる。

何かを拝んで他力を願うこととはちがいます。パワーを頂くことがない。教え通り実践すると、気づかぬ間に集中力が上がっている。

初期仏教の経典には物語はありません。神秘的ではなく、現在の人間の悩みにダイレクトに答えてゆく。原理を理解するためのたとえ話しは理解度を高めるためにあるのです。脅かしは一切ない世界観。

実践していると、自分でも知らないうちに能力が高まっている。ふと気づくと悩まなくなっている。

さきほど箇条書きしている、「・何か突然予測しなかった問題が起きてもすぐ対応できる。」ってすごくないですか?

巷では、専門家が様々な将来不安のリクエストに応えるようにして予測をして見せています。エコノミストは経済の景気不景気や株の高下など・・・。

何か突然予測しなかった問題が起きてもすぐ対応できるように能力が開発すれば、将来不安って成り立ちません。だって、何が起きても対応できるから。

極論、死んでも対応できる。対応済み。冗談ではないんです。

でも、信仰でも迷信でもありません。

理性でソーできてソーなるのです。

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