いつも当ブログにご訪問頂きありがとうございます。今週はコートを脱いで出勤しました。職場の室内も暖房から送風、暑いと冷房に切り替えました。みなさんいかがお過ごしですか?
この日曜日に、スマナサーラ長老の法話を拝聴し、しっかりと自分に向き合うように意識した1週間でした、わたくしは。
終末はお酒を飲んでのんびり、まったりするのが恒例でしたが、止めて早く寝て、今朝早く起きて、今日の段取りと、しておきたい事を頭の中で整理していました。
わたくしにとって禁酒はちょっとした革命です。やめたいけれどやってしまうこと。アルコールは脳細胞をたくさん破壊しますから、たぶん痴呆症発症の大きな原因の1つでしょう、誰も言わないけれど。
ト、知りながらも、酔いのまどろみ感は誘惑的。気分高揚、仕事の後の一杯が旨い。そして、飲酒後はだいたい体調が悪くなります。だってからだの毒ですからね。
今週は会社の宴会がありまして、出席しました。行きたくないけれどゆく必要がある。仕事の一環。でもお酒は飲みたくはない。
仕事の一環のくだらない席で気を使って飲酒の習慣に逆戻りしたくない。自分の人生を台無しにする習慣を「仕事の一環」で得るってあほらしいと思った。
烏龍茶で凌ぎました。上司からの勧めに反応しませんでした。当日は帰宅後に瞑想する時間がなくなって、大きな損失。だれも得をしていない、ムダな時間の浪費。
欠席すると角が立つ。以前は酒好きだったわたくしが、どのように変化するかして見せるか思案中です。
今週スマナサーラ長老の質問者に回答するyoutube動画を拝聴していると、前のめりになるような内容。
”知識”なるものの本質論でした。
人間の知識ってなんなんでしょうかね?
貪瞋痴の人間の世界では知識がどんどんと増えてゆく。医学1つとってみても、どんどんと医療の知識は増えてゆく、不治の病が治せるように進化している。
のでしょうか?
仕事の場面でもいろいろなことを知っていると優秀だと周囲から一目置かれます。大学でも知識豊富であれば、記憶力があると、最高学府に合格できて周囲から一目置かれる。
スマナサーラ長老は「知識の世界は同じところをぐるぐる回っているだけ」とおっしゃります。
どういうことなのか?
ヨーく調べてみると、原始の時代の医療・治療・薬草による効用による治癒の確率と現代医学による処方での治癒率はソー変わらない。のだそう。違和感はなくってフムフムという感じ。
「その治療法で治るひともいるし、治らないひともいる。」
もっとも現代医学の発展していたハズの先進国で、もっとも新型コロナのダメージを受けたという現実。
普通に常識として思い描く、「先進の現代医療は人類史の中でもっとも信頼できる人類の役に立つ医療である・・・」という漠然とした印象は、事実とはズレている。のではないか?検証する。鵜吞みにせず確かめる。
医療大国のハズの国でコロナで大きなダメージって、単純に考えると、
なにかがおかしい。
人間の「知識」はエンドレス。
だからといって進んでいるようでもない。知識量と役立つための知識って比例していないのでしょうね。
「智慧」には終わりがある。モー終わり、おしまい、という終点がある。
興味のあるかたは下記のYouTubeをどうぞ!
スマナサーラ長老の初期仏教Q&A 聞法と瞑想/知識と智慧/不殺生戒に関する迷い・他|ブッダの智慧で答えます(20 Aug 2020 ゴータミー精舎からライブ配信)の47分あたりから「知識と智慧」に関する解説が再生されます。
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