小学生の頃、スボンの膝に穴が空くとワッペンのようなもので覆い刺繍のようにして繕うことが普通でした。
衣服に穴が空いたら糸で縫い合わせて着ることが普通だった。
いつから、繕わないように変わったのでしょうか?
繕ったとわかる衣服を表で着ることができない事が常識化した。子供の頃は、レジ袋はなかった。紙袋だけがあって、腕で抱えて買った品物を持ち帰ることが普通でした。
当時は缶ビールはなく、瓶ビールやガラス瓶のコカコーラやバヤリースやコーヒー牛乳などガラス瓶しかありませんでした。
瓶ビールは酒屋さんからケースで運ばれてきて、ガラス瓶はリサイクルすることが当たり前でした。醤油も当時は一升瓶で、その一升瓶を何度も使っていたと思います。
当時はリサイクルという言葉すらなく、破砕せずに、そのまま工場に移動されて洗浄されて、ビールや酒や醤油を入れてまた使う。
箱に詰められたティッシュというものはありませんでした。わら半紙の大きさの鼻紙が2つ折りされたチリ紙だけがありました。
スーパーに行くときは、買い物かごをもって買いに行くことが普通。豆腐はお豆腐屋が、自転車で売りに来ると、器を家から持ち出して入れてもらって買っていた。
カップヌードルの自動販売機が置かれ、ケンタッキーが店を出し、高層ビルが立ち並ぶ。そんな時代から、繕わないように変わった。
繕わないですぐ捨てて新しいものを買うことが当たり前になってから、人のこころも荒むように変わったと私は感じます。麻痺。わたくしもソーです。
今では1度飲みほした空き缶はつぶされてゴミになる。
なんという効率の悪さ、ばかばかしさ。簡単で便利で以前よりも一見すると進歩したかのような物や事が、今問題化しています。
消費者や国民が望んだのではありません。買い物かごを持参することが、みなさんイヤだったことはない。民間企業がやりだし。そして、捨て去ることを厭わないことがカッコよいとしたメディア。
消費者はただ流れに乗っただけ。なのに、いつしか問題が生まれて、消費者の責任が盛られている。
先日、革のベルトが壊れました。当時はそんなに高いものではありませんでしたが、1本革の丈夫なベルトで、お気に入りでした。
今風ではない流行ではないベルトは、30年以上使い続けて、とうとう使えなくなりました。
雨天時に自転車で着ている雨合羽。
購入して34年。登山用の雨具は、普通ではない堅牢さで、未だにがんばってくれています。
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