舩後議員の横で支える佐塚みさ子さん

コロナ

舩後康彦参議院議員は、ALSで全身がマヒしているので、24時間誰かが介護介助をしています。

この隣の人は、どのようなつながりで、舩後議員の介護をしているのだろうか?

車いすの舩後康彦さんの隣で付き添っている、介護・介助しているスタッフが気になっていた人もいるのだと思います。私もソーです。

議員になるとどんどんと介護は大変になるでしょう。採決の時には舩後さんに変って手を上げたり、話したりする。

サラリーマンのような感覚だと、「めんどくさいナ・・」となるのだと思います。

仕方なく雇われているのだろうか?議員になることに反対しなかったのだろうか?

本書で知ることができました。佐塚みさ子さんという方と佐塚さんの経営している会社のスタッフが交代で6名で、舩後議員の介護をされています。

看護・介護サービスの会社を経営している佐塚みさ子さんは議員になる前の舩後さんにこう頼みます。

障害者だからこそみえているもの、

気づくことを教えてください。

当事者として会社の経営者になって、一緒に施設づくりに参加して欲しいのです。

”車いすで国会へ” 子どもの未来社より引用 以下の引用も同じ

そして、舩後さんは、佐塚さんの会社にアドバイスをすることになります。

佐塚みさ子さんの両親は、先天性の聴覚障碍者で、子供の頃はそれが理由で、いじめられたことがあります。

どうして差別する人とされる人がいるんだろう?

大人になったら、弱い人、貧しい人、体が動かない人を

守る大きな家をつくろう。

そんな夢を抱いて看護師に、そして、40歳を過ぎてから、ケアマネージャーの資格を取り、訪問介護サービスの会社を立ち上げます。それから、舩後さんと佐塚さんは出会います。

佐塚みさ子さんは、

障害の当事者として、舩後さんの意見が活かされて会社が良くなったように、

国会でも同じことができたらいい。

障害のある人が周りに少ないから、考える機会がなくて、上手く付き合えないんです。

みんなが自然に寄り添える社会になったらいいな、と思います。

誰でも、私でも障害者として生まれる可能性はあったのだと私は考えてきました。

なぜ?

そんなふうに思うのかというと母方の叔父が脳性麻痺だったことと、従弟が子供の頃に脚が動かない病を得たという家庭に生まれたのも一因です。

街中で障害者のグループが遠足のようにして移動しているのを見ると微笑ましく思う事があります。一見すると顔の表情が怖かったり、体の動きがおかしい。

けれど、嘘が無い。腹黒き人の多い世の中にあって、裏表がない人々だとわかると、なぜか傍らでほっとする、ということが私にはあります。

人生に悩み途方に暮れていた時、自宅の近所で歩道を電動車いすで通り過ぎる障害の方が忘れられない。

顔は見えない、秋の普通の日中。何か歌を歌っていた、とても心が癒されるような静かで優しい声が僅かに私の耳に入ってきました。

何ということの無い陽気を、愛でて、しっかりと味わい、喜んでいる。

暗い気持ちでいる健常者と言われている私よりも、この車いすの方の方が、よっぽど健常で元気で明るいよな、とその時思ったことを思い出します。

もちろん、すべての体の不自由な方々がみんなこんなふうではないけれど、すごい人もいる。

病を得て生まれる、障害をもって生まれる人は、昔も今もいます。生まれそこなったのではありません。

製品の不良品のように思ってはいけない、扱ってはいけない。

生まれるべくして生まれた。生まれそこなったら生まれていません。ならば、同じ生命として共に生きる事が自然です。

人間社会に都合よく人は生まれません。自然です。社会に都合よく「治す。治れ。」と思う気持ちってアンチ自然。治す必要はない。治る必要もない。自然なままでいいんではないでしょうか?

自立できない人を他者が助けることができる生物は人間以外いません。助けることができることが人間の特権です。

話しが変わります。

自然破壊によって未知の、眠っていたウイルスをおこし、今回のようにして新型コロナは蔓延したのです。

地球温暖化で永久凍土からあらたなウイルスが人類を襲う可能性が高いという専門家もいます。自然破壊が原因。

障害を持って生まれる、先天性の病を得て生まれることは自然なことです。けれども、否定したり、忌み嫌ったりすることが増えました。

障害のある方々を閉じ込めて隠すことと、自然を人間の都合の良いように壊すことはどこか似ています。

今のままCo2を人類が吐き続ける(工場や車の排気を続ける)と、自然環境が取り返しが付かない程度に変って終わる、だからSDGs(エス・ディー・ジーズ)持続可能な開発目標ということが良く言われるようになりました。

でも、そのSDGsには、自然に対する人々の関わり方を根本から見直すという視点がない、あるいは、弱い。今は、リサイクル程度の発想に終わっています。

舩後康彦さんは、自然にALSに罹患し、そこから差別を受けたのだと推測します。自然の側に障害者がいる。自然破壊のようにして、自然の側で、破壊(のようなもの)を被る体験を障害者は受けている。

どこに問題があって、では、どのようであれば、自然の側を守ることになるのか?

自然破壊にあっては自然は話してくれません、けれど、障害者は知っているし話し知らせてくれます。

SDGsの時流にあって、舩後康彦さんが議員になったことは実はとっても大きなことなのではないか?

日本人にとって大きなアドバンテージになっているに違いありません。しっかりと話を聞きたい。

コメント

error:Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました