読書と思考と

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わたくしは決して本読み(読書家)ではありません。ホントの読書好きって小学生になる前から本が好きだった方々なのだと思います。

頭が固くなった社会人になってから意識して本を読む習慣を身につけたので、文章はヘタですし、概念=言葉も知らないし、モノホンの読書家にはトーテー及びません。

ネットで良さげな本に関するサイトとしてはドクスメ(読書のすすめ)ホンズ、松岡正剛さんの千夜千冊一月万冊を渡り歩きました。今は一月万冊の数年前の動画が今の私にドンピシャです。

気になると本を取り寄せて読むことにしています。高速回転読書法であれば、書店の立ち読みでも1回転できます。

読書しているとブログやサイトの文章を書く時間が少なくなります。今年から2つのサイトに毎日記事を書いているので、ぎりな綱渡りのような生活には問題がありました。

なので、読書していた時間を作文時間に切り替えてみると、かなり良い。この2週間程は「読書してないじゃん!」と自責の念がないわけでもなし。

アウトプットを意識してのインプットであれば、読書に自分の考えを乗せないと差別化できません。本の要約をしているブログやサイトがあるけれど、時間がない人には便利なんでしょうけれど、新たな何かを生み出す事のほうが難しいし大事だと私は考えます。

読書の先で思考しとく、ということ。

「思考すること」って、もっとも日本人が苦手としている分野なのかもしれません。なぜならば、オートマチックな人間を生産しないように日本の教育は仕組まれているからです。

スーパーで買いものしていると後からついてこられることが多々私にはあります。迷わず核心的に買いものをしているので、何を買ったらいいのか?わからない方が寄っている、と解釈しています。わからない人々の量産成功の一端です。

思考しないように、思考しない人間に育てていると便利なことがあるんでしょう。コーした仮説、結論は本を読んで考えて読んで、人と出会って語らい・・・読んで確かめて・・という積み重ねで育まれました、私の場合。

読書って大事ですけれど、知識を得ると知らない人と差ができるけれど、ソコで止めると勿体ない。新たな未開のアイデア(組み合わせ)を生み出すことが最も重要だと私は考えます。

つまり、思考する時間が大事だってことです。本を読んでから考える、アイデアがひらめく時間を作る。

読書の目的は、アイデアをひらめくためにある。と思ってみる。知識で止めない。

読書をしなくとも、アイデアがひらめくことはあるけれど、そのアイデアは陳腐です。プアーです。ソコをこの2週間ほど意識しています。

本にはダメな本と良い本があります。ダメな本というのは嘘っぱちででたらめな本。結構人気のあるダメな本はあって、嘘に騙されている人は少なくありません。

実しやか、まことしやかに巧みに権威や人気などを交えながら噓っ八って多いですよ今の日本では。先ほど直リンクしていないリンクしているサイト運営者にもトンでも化した人がいたりします。

書店系でも編集系でもないかなり有名な方、私は要注意してます。あんなことしていたのに全く無風でスルーされているんで影の実力者だとわかる、だから注意する必要があるのです。

一月万冊の清水有高さんは、1日3~4時間思考時間を作っているとご本人が言われていました。毎日本を50冊読みつつも思考を別枠でしていらっしゃる、脱帽。

知る人ぞしる無名の知の巨人、もしかすると日本で最高峰の知の巨人なんではないかな?と私は思っています。ロシアの現状も数年前に言い当てている。数年前の動画を拝聴させて頂きながらうなっています。

読書と思考を両輪のようにして回すことは大変ですけれど、どちらも欠かせない習慣です。

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