街録というyoutube動画で、徳島市長で難病の内藤佐和子さんを始めて知りました。
街録というのは、視聴されるとわかりますが、街に出た「徹子の部屋」です。街に出てい部屋ではないので、さしずめ「徹子の街」。(ちなみに、徹子さんは関係ありません、出演しません。形態のたとえです)
外で話しを聞く、というなんということのないyoutube。屋根のある屋内ではない道端や公園で話しを聞くのを見ると、自分達と地続きな感覚となって、同時代性のリアルを実感します。
「街録」はインタビューではないと私は思っています。「徹子の部屋」です。インタビューというのは、優勝力士であったり勝利チームの選手や監督にするものです。
街録は、人となり、その人の歩んできた人生とご本人の考え方や思いを、掬い取る。時の人でもなく、むしろアウトサイダーのような、カテゴリーに収まらない、やぶれかぶれな、出たとこ勝負な人選は「徹子の部屋」の進化系なのです。
これまで、街録で、芸能人などの人生語りを視聴させて頂いたけれど、もっとも衝撃的で心を動かされました私。で、内藤佐和子さんが知りたくて、著書の「難病東大生」を読みました。
内藤佐和子さんの何に衝撃というのか、揺り動かされたのか?
と、ずっと考えていました。
発想がぶっ飛んでいて、飛んだ先で、それを確実に、やってしまっていることの凄さ。
型破りの、コーした人がもう一人いるのを思い出しました。
振り返れば、2019年の参議院選挙で当選された、れいわ新選組の舩後 靖彦(ふなご やすひこ)さんは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病でありながら政治家。
私が投票して初めて当選された方です。私は選挙を棄権したことはホボありません。必ず投票してきました。(でも、私はそれまで投票した立候補者が当選したことがありませんでした)
ALSの方で議員になったひとは、舩後 靖彦さんが世界で初めてです。
難病で何ができるのか?
といった感想をお持ちの方もいるんでしょうけれど、難病患者が世間や社会から受ける理不尽を変革してゆく為には当事者が、本人が政治を動かすという意味で最も効果的であり適材適所なのだと私は考えています。
ウクライナ大統領のゼレンスキーさんが海外の日本の国会で演説する、当事者として訴えることと本質は同じです。
話しを戻します。
内藤佐和子さんは、多発性硬化症という神経を保護している髄鞘(ずいしょう)が壊れて神経がむき出しになり、いつでもどこでも神経の場所を問わず、発症する難病でありながら、史上最年少で市長となりました。
そして、任期半ばで、反対派の事実をゆがめた主張(内藤さんの言い分)によってリコールされそうになっています。(個人的な見解ですが、市長側の言い分に分がある)
内藤佐和子市長の言い分とリコールしたい側の言い分を吟味して判断している時間が今の私にはありません。
なので、どちらがいい悪いという評価は致しません。ただ、しっかりと、じっくりと日本人の一人として知っておく。今後数年間は見守りたいと思います。
なぜならば、徳島市を変えて、ソコから日本を変えたい。市民が参加できる市や国にしたいと内藤市長は思い言っているからです。話しを戻します。
難病を患ってなお、世の中を良くしたい一心で政治家になる、という発想ってなんということでしょうか?
飛んでいる。
コロナ渦に入った一昨年、このままでは無投票で徳島市長が決まるという間際で、突然の出馬、記者会見、選挙活動、そして1,000票程度のわずかの差で当選。
2年足らずの間に、保育士の採用を増やすことに成功して待機児童を減らし、ふるさと納税の納税額を2倍にし、プリクラのない町、マックのない町を活気付けで、少しでも元気な、市民の意見の通る街づくりをされてきた。たぶん。
「飛んだ先で、それを確実に、やってしまっていることの凄さ。」と先にお話した理由はこうした実績にあります。
内藤佐和子さんによると、日本には難病患者が200人に1人いるんだそうです。通勤電車に1,000人乗車していると、そのうちの5人は難病を患っているかもしれない。
学校のクラスが40人で5クラスあると、一人難病患者がいただろう、と推測できます。このようにして、難病者といった方々のことを考えてみたことが私にはありませんでした。
2022年3月24日の今日、徳島市長、内藤佐和子さんに向けられたリコールの署名審査の結果が発表されます。
コメント