やたらと医者に行くのは無駄
2020年から続くコロナ渦。病院に患者が行かなくなった。特に高齢者が通院しなくなった。池田清彦氏は「病院の通院は不要不急だった証」となじる。大して不調でもなくこれまでは通院していた、というのだ。
テレビのバラエティー番組での独特の視点で語る池田清彦さんは、へそ曲がりのインテリではない。早稲田と山梨大学の名誉教授であり生物学者。東大の解剖学者であった養老孟司さんとも親交は厚い。
池田先生の語り口はテレビ同様、遠慮がない。
がんの早期発見が進んでも、死ぬ人の数は減っていない。
と言う事実は、
「早く発見しても遅く発見しても、治る人は治るし、
死ぬ人は死ぬ」ことを意味しており、
結局、早く発見することにたいしてメリットはないのである。
健康診断や人間ドック。わたくしは定期的に受診してきた。常識的にはかなりヤバイ内容だけれど、
言われてみればソーかも?と思えてくる。かく言う池田清彦さんはがん検診はした事が無いという。がんが発見された場合。
その後の治療に関する考え方は、患者視点によるもので一読しておく価値は高い。
好きな事をしていれば死んでいる暇はない
好きな事をしていても死ぬ人はいる。天才は夭折してきたから、好きな事があると死なないということは当たっていない。
将棋の棋士、村山聖九段は29歳でなくなっているし、詩人の中原中也は30歳。将棋や試作は好きであったに違いない。
池田さんは、江戸時代の浮世絵師葛飾北斎に絵があったから88歳まで生きたという。富獄三十六景は北斎が70代になってから描いた。75歳を過ぎてなお、傑作を多く残していると絶賛。(単純に北斎が好きなだけ。)
と言いながらも、老いてなお好きで居続けるものがあると老後は楽しいだろうと明るい気分になる言葉だ。
未来のために生きてはいけない
病気の治療に耐えられる体力作りのために何かを始める人がいる。わたくしの職場にも。公共鉄道の会社で定年を迎えて再就職で当社に転職。
その彼は股関節に病を持っていた。効くと、医者に勧められて歩行訓練、歩いて体力を付けようとしたところ、股関節に負担がかかり手術を勧められている症状だという。
池田清彦さん も、年をとってからの体力作りや健康維持ではじめた慣れない運動で体調を悪化させている老人を周囲で見てきているという。
なってからでは遅い。
若い時に戻る事は決してない。
僕が言いたいのは、あやふやな未来が”ある”ときめつけることで、
生き方が窮屈になってしまうなら、
そこは、あるがままにぼんやりと捉えたうえで、
今を楽しみながら、生きるのがいい、
ということだ。
たんなる北斎ファンでもなく、このおやじなかなかいい事をおっしゃる(笑)。
何歳から老後なのか?
私がこどもの頃は30歳代でおじさん、50歳でおじいさんと感じてきた。55歳で会社は定年で、ステテコをはいた55歳くらいの老人が住宅街の街中にうようよいた。
50歳代でしわくちゃな顔のひとが普通だった。
単純に私は年をとったから、見ている視点が変わったからなのかもしれない。
何歳から老後なのか?
体調変化を感じたのは、30歳になったころと41歳の厄年。そして50代後半。30歳を過ぎると食事の好みが変わった。
ボリュームたっぷりの焼肉より魚。41歳の厄年周辺では、仕事の疲れが抜けない事が増えた。激務であったけれど、どんどん疲れが溜まることがなかったが、41歳で記憶力の視力も体力もかなり衰えたと実感したことを覚えている。
そして今年。日に日に脚力が衰えていく感覚を味わった。毎日、毎週。階段を下るようにデジタルデータを眺めるように衰える。
池田清彦さんは70で「若くない」ではなく「ああ、年を取ったなあ」と実感したという。わたくしは、母の老いる様を病院の付き添いや実家通いで感じてきた。
周囲の老人も観てきて思うのは、75歳が標準的は活動期限ということ。長期旅行でも車の運転でも、ある程度健康に気づかってきても75歳に大きな変化、衰え、つくろえない衰えがやってくると感じています。
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