20メートル隣の死

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先日早朝、自宅最寄りの乗車駅で人身事故がありました。

いつもの電車がホームの私の前を通過していると、警笛が鳴り続き急ブレーキ。まもなく、ホームの非常ボタンブザー音。

ホームのアナウンスを待つまでもなく事故があったと分かりました。
現場を見に行く人、整列から離れて向こうを見ているサラリーマン。


私は慈しみの瞑想中でしたから、その方には全く私の瞑想は無力だったのだな、と思いました。
野次馬の様に見る気はない。何かを確認すべきことはない。


ジャーナリズムの様な取材の様な事をしていた時期が私にはありますが、真相事実が知りたい事であって、無残な状態や興味本位ではなかったな、と改めて振り返っていました。

考えない瞑想=ヴィパッサナー瞑想をある程度習慣化していると、普通の方々とは現実の捉え方が変わります。感情の揺れはあまり起こりません。

「今は慈しみの瞑想をする時間だ。」という切り替え。そして、普段の通りの瞑想。じっと、ホームに立ちながら・・・。

この何か月かの間に、マッサージを受けに行くと、セラピストさんから、急に心を病んで自殺することがある、と同じことを聞いたことがあります。俳優の自殺を思い出してのよう。

わたくしは、自殺したいと思ったことがこれまでにありませんが、普通のすぐ横に・・、とセラピストさんは言っていたように受け取りました。

悲しみにもっていかれる衝動を、感情を無くして、慈しみの瞑想をする以外に選択肢はなかった。まもたくしてサイレンとパトカーの音が聞こえ、あわただしい人の動き。

停車位置の大分手前で電車は止まり、一番前の扉だけ開放され、降りてゆく乗客。私の目の前では、何事もなかったように平静に、待っている車内の乗客。

40分程度してから電車は動き出しました。

子供の頃は電車の人身事故はめったになかったしニュースになっていました。バブルが崩壊してから電車への身投げはすごく増えました。

同じ日に別の車線でほぼ同じ時間で身投げが起きることもある。電車遅延を不満がることがどうしてもできません。

どんなだっただろうか?

悲しみに浸ることはなくなったけれど、どうか良い所へゆけますように、と瞑想する以外ありませんでした。

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