MMTは安全神話と似ている

読書とその周辺

現在貨幣理論の詳細を知らないけれど、この1か月程、MMTってどうなんだろうか?と冴えない自分の頭だけで考えていました。

子供でもわかるようなことです。お金を無尽蔵に刷って国民に配ると、その現金で食べ物が買えて住む家の支払いもできる、かもしれません。

でも、たぶん、一時的で終わる。なぜならば、1枚のお札の価値が下がるからです。実態としての価値への対価ではなく、配給制度のようにしてお金を配ると、お札の1枚1枚の価値は減る。

紙屑のようなお札が市場に溢れかえり、それまで価値をなしていたものも、引きずられるようにして価値を失う。

たぶん、預貯金が3,000万でも3億でもいいんですが、その価値はたとえば、3万円や30万円程度に下がるハズです。

いまの時点であれば、マンションや家が買えていた貯蓄が、MMTを実施することで、国内1泊旅行するか、海外1週間旅行することのできる程度の価値に下がる、と経済ド素人の私ですけれども、そんな結論です。

政治的には信頼のある政党の政策の根本にはMTTが拠り所としてある。だから、興味がなぜか湧いてきた。

慶応義塾大学の准教授、小幡績さんの論調には、納得感がありました。日本では絶対に危険な「MMT」をやってはいけない

経済学の専門家にとってMMTは、非常に怪しい、論外レベルの理論なのだそうです。ソーしたことは前々から知ってはいて、改めて少し調べました。

中央大学の國枝教授の論証は、確かな理解までに至らないけれど、冷静で問題点のいくつかを取りあげてくれています。MMT理論はどこが間違っているのか?

遠足というのは、自宅に帰るまでが遠足。行ったきり帰ってこなくて良い、というのがMMTの論理。

ちょっとヤバイ。そもそも経済学は、ハイパーインフレや国家破綻を起こさないための学問なのだと思います。出した分は戻す必要がある。

MMTが今後どんどんと盛り上がると、いつしか、根拠のない安全神話の1つになる。イヤ今すでに神話化していると私は感じます。

異端児は本流を見下し、自分こそ正論者と言いたいことがある。

では、今のままでよいのか?というとそうではありません。

ただし、仮説の上に仮説を重ねてさらに独自理論を盛るようなところが経済学にあるように、今回感じました。

不遜な言葉になるけれど、経済学者って占い師と何か違いがあるんだろうか?

お金にまつわる、ドーノコーノを持ち出した、占い師のことをエコノミストといい経済学者というのではないか?

なぜ、そう思うのかというと、「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」という著書を読みフムフムしていた時期が私にはあるからです。

新しい政党に期待している。でも、経済政策論を刷新する必要がある。いや、政策ではない。経済成長のアイデアこそを1丁目1番地として練る必要があるのです。

エネルギー革命と電気革命という世界的時流に乗り、日本独自の優位性を活かすという手がある。

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