ひとり芸の落語は1つの完成形です! 六代目 三遊亭 圓生さんがイイですね!!

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いつも当ブログにご訪問いただきましてありがとうございます。関東周辺はこれから雨になるような雲り空。みなさんいかがお過ごしでしょうか?

わたくしは雨天でも洗濯してさきほどベランダに干しました。雨の日に洗濯してもいいんです!

先週の金曜日に夏季休暇を頂き温泉旅行をする予定でしたけれど、母が急性肺炎で入院。旅行を速攻キャンセルし、このおやすみは自宅で過ごしています。

看護師さんから伝言のあった、母の欲しいおしりふき、入れ歯をさいたま市民医療センターに持参。途中、フトおもって、造花の黄色いバラを添えました。喜ぶかな?とおもって。

生花はめんどうなんですもらっても、水を交換するのにも手間がいる。看護師さんのしごとをふやしたくないんで、味気ないけど造花でヨロシクという感じ。

インフルエンザがいまかなり流行している。で、すこし風邪っぽい体調なんで、「紅葉狩り行きたいな・・」と思いながらも自粛しました。

やりたいことはあるけれど、のんびりもしたい。

普段はネットでニュースなどを見たり仏教の法話を聞いたりララチューンさんをみたりしてまして落語は聞かない。

なぜか?

三遊亭 圓生さんの落語を何席か聞きました。

六代目 三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1900年〈明治33年〉9月3日 – 1979年〈昭和54年〉9月3日)は、5代目三遊亭円楽さん(顔の長い、笑点でながらく司会をしていた、6代目円楽さんのお師匠さん)の師匠。

こどものころにはテレビCMにもたびたび登場していました。覚えてます?

「バカウマ」という業界用語のような言葉をCMで一般に流行らせたのが六代目 三遊亭 圓生さん。六代目 三遊亭 圓生さんはもともとは義太夫のこども芸人。

ところが伊香保温泉の階段で転倒し胸を打って、医師から義太夫語りはもうできないと宣告されます。ソコから周囲の大人のすすめで落語家に転身。

もとは義太夫語りだったって、知っている人は知っているんでしょうけれど、わたくしは初めて知り、「あの伊香保温泉の階段で・・・」と意外な感じ、「人間の運命ってわからないものだな」とおもった。

六代目 三遊亭 圓生さんは、ボケの役からツッコミ役に変るときに背筋を瞬時に伸ばして入れ替わるようなところがあります。

こんかい拝聴した演目は六代目 三遊亭 圓生「らくだ」「死神」。それから七代目立川談志の「死神」、六代目 三遊亭 圓生「猫定」・「後家殺し」・「寝床」、柳家小三治「小言念仏」、柳家小さん「うどんや」。

六代目 三遊亭 圓生さんが一番気に入った。

バカ役がセリフを言い終えて、ツッコミ役に変る時に顔を右から左にかえる。その瞬間に背筋を伸ばしてみせている。かなりの労力で筋を違えるほどの変わり身の速さ。

落語の話しを聞きながらも、「お茶のススる音が旨そうに聞こえてるな」空気とお茶をなじませて、口の前からすすっているんだね・・などとじっとみていました。

「あのお茶が熱かったらどんな感じだろうか? ヤケドしそうなくらい熱いということはないものだろうか?」「1席でお茶が無くなったらどうするんだろうか?」といったこどものようなくだらないことを考えてました。(いつものことですけどね)

六代目 三遊亭 圓生さんは湯飲みの蓋を飲んだあとに必ずします。1口すするとふたをする。2口めでもすすり終えるとふたをする。ふたをしないままの落語家もいる。いい悪いではなく、クセなのか見せ方なんでしょうか?

どの落語家さんもよどみなく語る、ということはありません。どこかでつまずいている。ソコを自然に誤魔化す。

ごかましていないようにみせながら誤魔化しているとわかります。語りのなめらかさの部分。

語りのまめらかさが名人の力量ではない。引力と面白さとプロ同士での納得感で位が決まっているように感じます。

どちらかというと演じていないスの表情で怒り顔ではない、辛そうではない人相の落語家さんに好感をもちます。

20代のころにそのころの柳家小三治さんの落語を聞きに行きたいと同僚と話しが意気投合したことがあります。実現できなかったけれど、1980年代後半の小三治さんは勢いがあって面白かった。

お存命中におひとかたともお会いしたことは有りません。生の落語を聞いたこともない。ド素人のわたくしが言えたはなしでもないんでしょう。

ココは言論の自由ということでご勘弁くださいませ。

立川談志さんはプロであったり落語通に見せている部分が大きい。プロの中の一流の方なのでしょう。

同業者から一目おかれたいタイプ。「落語とは人間の業の肯定・・」と言っているけれど、「だから何?」とわたくしはおもう。悪い癖を肯定されたら周囲はたまったものではないからです。

芸の内がわに閉じていないであろう定義だからよろしくない。黙って思っておけばよいのです。

柳家小三治さんは師匠からホボなにも教わらなかった。ただ1つ「おまえの落語はおもしろくねぇー」と言われました。

で、師匠の人間国宝であった小さんさんの落語と、またまた人間国宝だった小三治さんの落語を比べて視聴してみた。

生まれた時代の違いなんでしょうか?

サラリとしている。笑わせようという気が伝わってこない。柳家小さんさんも三遊亭 圓生さんにも。小三治さんはすこしクドイ。落語家の気持ちがくどい。

ここで笑わせたいという気持ちが伝わる。

「おまえの落語はおもしろくねぇー」というのは、サラリとしていながらも客は笑うもんだよ、と言いたかったような気がしました。でも生まれた時代が違うと境地はわからないとおもいます。

芯の部分に強烈な人生体験(戦争体験など)があるから、サラリとしていても伝わる。

落語ってすごい!

たったひとりで芸を成立させている落語は一種の完成形。

なぜ? 落語というひとり芸の完成形があるのに漫才やら複数人での芸事がのちにできたのか?

ひとりでできることをわざわざ2人3人・・・と増やすことになったのか?

もしかすると、ひとを引きつける引力。魅力のエネルギーが戦後からだんだんと少なくなったからなのかもしれません。

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