グチ泣き事を言わない

ヴィパッサナー

夫婦ケンカの絶えない親を持つと、感情表現する言葉を吐き出すような癖がつくことが有ります。文句を言う。ひとを批判的に見て陰口を言う。ためらいはなく、感情表現は正直が自然で当然のように感じていました。

大学の合宿で部屋が古びて予想より程度がわるいから、なんだかんだ愚痴を言うとその場はしらけ、マイナスな事はいい加減にしろ、と同級生に言われた事を思い出します。

親の罵詈雑言を聞くのは不快だけど、環境の波動から影響を無意識に受け、慣れてた身体と心で、無意識に誰かを不快にさせていた。親と似たような事を自分がしている、してしまう。と知りました。

大学生のころ、部活からの帰りの深夜帯の電車の中、酔ったサラリーマンが職場の同僚の悪口を言い合うのを良く聞きました。

ああいうサラリーマンにはならないようにする、と決めたのに、自分がサラリーマンになると、嫌いな上司や客の愚痴や悪口が止まらない。もう忘れている。ふと気づく。

いつから愚痴泣き事、マイナス思考をやめたのか?

人生のどん底で、なんとか人生を好転させたいと思ったのがきっかけです。徐々に身を落としていた。これまで思い付きもしなかった、言葉が大事だという結論に達します。

それから、言葉についてや、人との接し方に関する本をどんどん読み吸収し実践します。この十年程は、冗談はさておき、愚痴や泣き言やため息は意識してしないようにしてきました。

マイナスな言葉を使うと、気持ちがいいのか?むしろ、不快感は高まり仕事の能率も下がる。と知ったからです。

止めると、周りの会社の同僚たちがいかに、愚痴・泣き言・不平不満・溜息をしているかを知りました。ムダにエネルギーを消耗するのがわかる。私は沈黙。同僚の愚痴には乗らない。

だいたいは、静観して無言。

フレンドリーではないから自然に距離はできます。瞑想実践してからは、無理せずに、感情を抑えることが出来ように変わりました。

一人暮らしをして長いです。最初の頃は結構一人っきりで感情をあらわにした言葉を使っていました。最近は静かになっています。無言で淡々と過ごしています。

マイナスの運を落とす感情的な言葉を話さない方が良くとも、人は悪感情を持ちます。そのように出来ています。

私が変われたのは唯一、テーラワーダ仏教と出会いヴィパッサナー瞑想を知りやってみたからです。劇的に何かが変わることはないけれど、驚くほど人生が変わったのはヴィパッサナー瞑想を実践し慈悲の瞑想をしてからなのです。

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