ブッダの贈り物 4

ヴィパッサナー

今回の瞑想会での全く個人的で主観的な感想ですが、スマナサーラ長老はかなりご病気が悪いのかもしれないという事です。

もしかすると、今年で瞑想会のご指導をお止めになるのかもしれない、と、全くあてにはならない個人的な直感ですが感想を持ちました。

今回は、瞑想会ではなく、「仏教との関わりってどうだったっけ?」と個人的は接点を少し思い出すまま綴ります。

私が仏教に接点を持ったのは、親戚が火事で死傷したことからです。朝のニュースでたまに火事のニュースがありますね。

高校生の時に、叔父から母に電話があった。

「どうやら、・・の家が火事になったようだ。ニュースで見た・・・・」。

母はにわかには確認できない。お店をしているそこに電話したが不通だということは言っていた。忙しい朝でもあって、それから登校。

帰宅すると、「やっぱり、火事があった。」という事を聞き、かなり衝撃を受けた事を思い出します。身近でも火事ってあって、それで死ぬことがあるんだなと。

火事の時の詳細もわかっていて、「火事だ!早く逃げて!」と叫んだ娘さんが帰らぬ人となったという、無念。(少し遠い親戚だったのでお会いした事はありませんでした。年頃は当時の私と同じ。)

どのような必死な思いで、火事の中を追い迫られていたのか? 苦しかったろうな? 想像するだけでやるせない悲しい。

告別式には手のないお坊さんが供養に来ました。

実は、そのお坊さんも火事で身体障害を得たという方。何をお話しされたのかを今は忘れたけれど、そのお坊さんの説法が忘れられず、そこから般若心経の本を読んだ気がします。

何よりも、全くの他人ではない、親戚が、何も悪い事をせずに、むしろ、兄弟や家族を守る為に大声を叫んだために、深く煙を吸い込んで亡くなったことが衝撃だったのです。

それから10年以上を経て、国際問題について、たとえば環境破壊であったり、戦争に関しての関心が高まり、社会人になってから、現地で調査をしたり、記録のために写真を撮影したりしていました。

ソコで行き詰ります。

市民運動をしている知り合いもいたし、ジャーナリズムを職業にしている知り合いとの交流もありました。普通のサラリーマンとはかなりの異世界が心地よいと思っていた時期。

けれど、何か違う。

人としての在り方と・・問題に対峙して批判的になることの矛盾について、アルバイトをしながら幾日も考えては、後戻りし、考えては、元に戻る。何がどう矛盾しているのかわからないが、確かにどこかはおかしい。

これから目指したいことが、正解ではないが、何が正解かはわからない日々。

そしてある日、密教系の仏教書に出会います。何の本か忘れました。

簡単に言うと、「世界の国際問題」といっても、そんなものはない。「あなたが認識する世界があって、あなたが知った「国際問題」があるだけである。」といった内容でした。

そんなことをそれまで考えてみた事が無かった。

世界は誰にとっても当たり前に1つの共通した概念として現実に間違いなくある、と思っていた。普通に。

ところが、自己の認識で知っている世界でしかない、と言われて、ハタと気づきます。180度反転した認識の仕方。

日本人の書いた仏教書や現役の僧侶が書いた今の仏教などについて調べると面白い。様々な仏教の宗派の考え方を知るにつれて、いつしか「発祥当初の仏教の教えは今もあるのだろうか?あるのであれば、釈迦自身が語った教えが知りたい。」と強く思う様になりました。

なぜならば、仏教とはもともとは釈迦の教えです。

ところが、その後に、どんどんと様々な考え方が生み出され分派していった。根本の元祖の教えが知りたい、ということは自然な流れだったと思います。

その間、仕事を変えてシステムエンジニアとして下請けで働いていました。生活のために仏教から離れざる負えない時期がありました。

仏教への興味関心。そんなことを忘れさせるほどに、仕事は激務の連続の日々。リーマンショックの翌年、とうとう仕事が無くなった。

アルバイトでやっと採用された初日の昼休みに母から突然の電話。

「お父さんが亡くなったの・・・」

親父の訃報の影響もあって、そのアルバイトを急遽退職。その次に決まった会社が今の仕事につながります。

その会社の勤務先はゴータミー精舎と目と鼻の先。

そして、勤務の前後で幡ヶ谷の書店に通いだし。初めてスマナサーラ長老の著書を手に取りました。

引き寄せられるように・・・。つづきます。

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