嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか 2 鈴木忠平著

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見ていれば記事は書ける

スポーツ紙に入社して4年目の鈴木忠平さんに落合監督は、声を掛けました。「ここで何を見てんだ?」と鈴木忠平さんを見て言った。

「ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ。それを毎日続けて始めて、昨日と今日、そのバッターがどう違うか、わかるはずだ。そしたら、俺に話なんか聞かなくたって記事が書けるじゃねえか。」

「一年間続けてみろ。そうしたら選手のほうからお前に聞きに来るようになるはずだ。僕のバッティング、何か変わっていませんかってな。」

取材が嫌いで新聞記者にサービス精神のない落合監督が、記者に声をかけることはなかった。落合博満さんは、著者の若手の記者である鈴木忠平さんに何を感じて声をかけたのだろうか?

本著にその答えは書かれていない。

信用できる男だと思ったから声をかけたのだろうか?孤独になれる記者だと感じたからなのか?約束を守ると思ったのか?

私は、落合監督の眼に、何にかは知れないが、現状の在り様に大きな違和感をかかえ、悶え苦しんでいる若者に映った、最も大きな幅で深く苦しんでいると感じて声を掛けたのだと推測する。

末席の若手記者が見続けることで脱皮した

4年目の鈴木忠平記者の仕事は、監督の囲み取材でも先輩記者の後ろでただ座っているだけだった。取材は決まって先輩記者たちで独占されていた。デスクやベテラン記者からの指示だけで仕事をしてきた。

プロ野球の取材の第一線で活躍してきた記者たちは、落合監督のいう、「見ていれば記事が書ける」事をしてきてはいない。落合監督に言われてすぐに行動に移したのではなく、常に考えて1歩1歩変わっていたように思う。

4年目の鈴木忠平記者 はたぶん、「なぜ俺だけに落合監督はこう言ったのか?」そして「”見る”とはどういうことなのか?」とずっと自問自答を繰り返していたのだと思う。

落合博満さんのように見て考え、ならばこう、という思索を繰り返していった。

落合博満は特別な人なのか?

合理的に論理的に考え、感情的にならずいつも冷静。落合博満さんはそんな人。

一方には反対に、よくわからないが、伝統や「ココはそういうところ」だからと言われ、朱に交わって赤くなり、その中に入りこみ打ち解けるのが日本社会の普通。

落合博満さんはプロ野球以前に、野球部で先輩や監督やコーチに殴られることが大っ嫌いだった。今では列記としたパワハラで許されないが、昭和の当時は先輩に絶対服従が当たり前だった。

野球がやりたくて、上手くなりたくって野球をする事と、先輩に服従する事は全く違う。服従すると忽ち野球が上手くなる訳はない。序列ありきの日本の伝統でヘタなヤツのいう事を聞いて得することはない。

落合博満さんは、変わった人であり特別変わった人なのだろうか?バッティングの才能を取り除くと案外似たような人は日本にウヨウヨいるような気がする。

自分の頭で考えるタイプの人で、「日本社会の普通」に違和感を感じてきた人、今現在、やるせない気持ちでいる人は案外多いに違いない。

殴られることが大っ嫌いだった から・・・

監督やコーチに従う事が嫌いだった落合博満さんは、たぶん、野球が上手くなるためには自分でなんとかしなければ、と思った。ソレ以外の方法はない。

教えてもらわずに、上手い選手の所作・動作・表情を自然に観察するようになったのだと思う。見て取りこみ、やってみて、どのようにしたら良いかの答えをひとり思索した。

とかく周囲を気にしながら歩調を合わせる、気に入られることを大事にしてきた日本も、これからは、個の時代なのだと私は思う。

よくわからない曖昧なもので世の中が回っていた時代は終わる。終わらざる負えないから。

孤立する事を厭わない、落合博満さんから学ぶことは少なくない。

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