占いってどう思います? 当たってるのか?信じたからソーなるのか?

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テーラワーダ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老は、「占いを信ずるな・・・」と最近のYouTube動画ではおっしゃっています。

お若い頃のアルボムッレ・スマナサーラ長老は当たる占いもある、とおっしゃっていたと思います。言っている事は一見すると矛盾しているけれど、矛盾していないんだろうナ、と考えています。

わたくしは自分から悩み事などがあって、占い師に占ってもらったことが1度もありません。湯島鍼灸院の元院長の五味彰先生からは施術中に占われたことがあります。

どこを占われたかしらない。

興味がないこともないけれど、「ソーですか・・・」でおしまい。

若い頃には西欧占星術のホロスコープを自分で作ったことがあります。西欧占星術のホロスコープに引きつかれたのは、糸川英夫という日本国産ロケットの父といわれる物理学の権威が、西欧占星術のホロスコープに関する本をかかれていたから。

アヤシイ占い師が商売で書いた本ではないんだろうなと手に取りました。

湯島鍼灸院の五味彰先生からは運命宝鑑という暦を勧められました。九星方位気学。書店にはあまり置いていないとおもいます。大きな書店にあるけれど、売り切れていることがあります。

当たっていることはなくはない。方位はいまは気にしません。方位気学って地球内部に閉じてるけれど、広がりの中に、あなたもわたしも「ある」とおもうから。

どこかの銀河の中に太陽系はあって、ぜんぶクルクル回っている。現実です。物質現象。宇宙空間のお話し。

ソコで方位って成り立たない。回ってるから。わかんない人は一生わかる必要がないんだとおもいます。

とはいえ、若い時ににぎりしめた、どこかの神社の生年月日による占いを大事に保管しています。ジャーナリズムに興味を持ったのは当たっていました。

占いで「ジャーナリズムに興味をもつ・・」と書かれていたから興味をもったのか? 縁あって、稀有な体験をしてきました。戦地で捕らわれて、よく生きて帰ってこられたともおもう。死んでもいいとおもっていったから死んでも良かった。

湯島鍼灸院の五味彰先生からは、除霊をして頂いたことがあります。ホントだったか妄想だったかわかりません。

城ヶ島のホテルに両親と車で旅行。ふだん機嫌の悪い、誘いにのらない父が珍しく「行くか・・」といったかず少ない3人旅。

往路の途中で突然車のライトが外れた。ドアも故障したと記憶しています。そして城ヶ崎海岸でしばし海を眺めてホテルへ。

床に就くと大きな寝息がする。母でも父でも自分ではない息。

ソコから体調が悪くなって湯島鍼灸院で除霊してもらうと、うそのように体がかるい。ホントだったか妄想だったかわかりません。

湯島鍼灸院の別名は「クリスタルルーム」。いうがごとく、待合室には大きな大きな水晶の原石が置かれていました。

早朝に五味先生は瞑想をされていた。その先はきいてませんけど、たぶん、治療効果をねらって水晶に上からのエネルギーを落としてためていらしたのだと推測します。

当時はヴィパッサナー瞑想ではない呼吸瞑想をしていて、何か敏感体質があったのでしょうか?水晶に手のひらを近づけてエネルギーを感じるようなトコがあったわたくし。

で、湯島鍼灸院の水晶に手をかざすとべらぼうに感じた。(2022年現在、院内にエネルギーの入った水晶はありません。五味彰先生も引退されています)

五味彰先生:「かんじるでしょう?」

鍼灸治療の後に、体内に取り込むようなことをしていました。

だれから教わったんでもなく感じた。方法はしらない。勝手に感じるようになっていた。

どんどんと丹田にエネルギーが満ちるのがわかった。けれど、院を後に、帰路の途中でどこかに消えてなくなった。はかないエネルギー。何の話しでしたっけ?占いでしたね。戻します。

いま考える「占いとは?」

非常に狭いくくりでの「当たる」、でしかない。

遠隔療法をしていた頃の湯島鍼灸院では、五味先生に相談ごとをしていました。相談すると、五味先生はどこかと通信している様子。たぶん、湯島因縁のどこか。

数年かよっていて、いつの日か、あらかじめの自分の結論と「お告げ」?がまったく同じだったことがあります。ソコで「モー自分で全部決めよう、頼る必要はなくなった」、と直感しました。

卒後業して新しいステージにいくもんだと、人生って捨てて得て捨てるもんだと思っていたしいまも同じ。

「占いを信ずるな・・・」ってどういうことなのか?

ちっぽけでとるにたりない「当たる」にこだわるなヨ!とテーラワーダ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老はおっしゃりたいんだろうとわたくしは考えています。

そして、占いに浸ると、たぶん、物事をしっかり調べたり予測したり判断することをおこたるようになる。占いを信じると怠ける。つねに勉強して進化しつづけるのが良いとわたくしは考えています。

占いで目標を設定してがんばる!ということならばOKですよね。

手首に数珠をはめていた時期がある。

いまはお守りをしていませんけれど、おかしなことになっていません。慈悲の瞑想をすると寄り付かなくなるんでしょうね。波動が違うと寄れなくなる。

欲が入ると瞑想によくはないんで、効果のようなことは初期仏教ではいいません。(わたくしの知る限り)

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