慈しみが育つと人生はすべてうまくゆくんだそうです。

ヴィパッサナー

いつも当ブログにご訪問頂きありがとうございます。さきほど大きなクシャミをしました。花粉症なのかな?という感じ・・・。みなさんいかがお過ごしですか?

もともと人間のすべてには「慈しみ」って無いんだそうです。煩悩の貪瞋痴のひとの心の中には「慈しみ」がない。

わたくしが「慈しみの瞑想」をしって実践しだしたのは、10年以上前です。簡単なフレーズですけれど、途中でべつなことを考えたりして集中して最後まで唱えることができませんでした。

2年くらい前からでしょうか、毎日唱えると決めて。だんだんと、集中して最後まで唱えることができるように変わりました。

昨日、スマフォを触っていると、「みなさんは慈しみが足りていません。仏道はどうでも良いから慈しみの瞑想をもっと真剣にしてください・・・」というスマナサーラ長老のyoutube動画を観ました。

慈悲喜捨って仏道の中のことだと思っていましたから、「そうなんだ、違うんだ・・・」という発見した感じです。

真剣にしようと決めました。

ヴィパッサナー瞑想をはじめたころには、慈悲の瞑想をスルーすることがありました、わたくし。なんかめんどくさい。

包装紙の紙のような感じがして、さっさとなかみを開けたい衝動のようなものがあった。でも違ったようです。

昨年からは、瞑想会で頂いた冊子で五戒も唱えてから瞑想するように変えています。

慈悲のこころがあってはじめてヴィパッサナー瞑想ができる。

八正道には、①正見(正しい見解) ②正思惟(正しい決意) ③正語(正しい言葉) ④正業(正しい行為) ⑤正命 (正しい生活) ⑥正精進(正しい努力) ⑦正念(正しい思念) ⑧正定(正しい瞑想)があります。

その中の「正見」は、その他の要素をサポートする役割があるんだそうです。善と悪を見分けること。

「わたくしの考えは正しい」、「あなたの考えは間違ている」という自分の見方にひっかかると、いろいろなトラブルになってしまう。

自分の見方や考え方。これらが苦しみをもたらす。このことを理解して、「正見」を実践することにより、邪見がすこしずつ消えてゆく。

八正道をする前には、慈悲のこころがいる。

やさしくないと、どうしても、「わたくしの考えは正しい」、「あなたの考えは間違ている」となるからなのでしょう。

慈悲の瞑想で奇跡が起こるんだ、とスマナサーラ長老はおっしゃります。

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