慈しみの瞑想4か月目の個人的感覚

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慈しみの瞑想を意識して毎日必ずすると決めたのが今年の元旦。4月半ばの今日、どのような変化が起きているのかを振り返ってみました。

もちろん、個人差はあるし、見当違いなところもあるかもしれ知れません。

今起きている戦争については、過去の自分であれば、「黙ってられない。なんとか収まって欲しい・・・」と強く悲観していたと思います。

もちろん、人を殺めることは一刻も無くなって欲しい気持ちに変りはないけれど、心の波長が波立つような感覚は今はありません。傍観し無関心でいる、ということではない気はしています。

職場の上司の表情が柔らかい。

3月末をターゲットとしている仕事の追い込みがあって、ピリピリしている。部下の呼び出して例示して、報告をするよう指導しているのを私は横でみていました。

その年下の上司は、私の近くでは、無意識に「疲れた・・・」と独り言のようにつぶやきます。私は、先回りして上司に報告したり、何もない順調な場合は沈黙。

ホボ沈黙です。問題がないから。

何かで質問や報告を上司(A氏)にすると、質問の意味がわからないようなので、3回繰り返します。私の対応は概ね正しいけれど、ディテールな部分で批判的に回答されます。

ソコで少し傷つくとか自分の誤った部分があっただろうか?と振り返るのが過去のわたくし。

今は、していることに誤りはなく、理解の速度が遅い感じをごまかすようにして批判的になっているだけだと上司の心理を推察して終わり。

誤った解釈や間違っていないのに、早合点して誤った解釈をして私を怒った別の上司(B氏)。簡単に否定する私。「現場から連絡は来ていません・・。」と。

そんな繰り返しで私の職場での信用は確かに上がっています。この2人の上司(A氏とB氏)の私への態度は柔和になっています。

もちろん、先回りして仕事の精度を上げている。その分の仕事は変えています。

会社の上司というのは、役職が上だと偉くって頭が良いと思いたい習性があります。なので、私の方が切れるとは思われないようにボーっとした部下のような話し方と振る舞いです私は。

おもしろいことは、その2人の上司の上の課長とその上の役職の部長から私は信頼が厚い。信用して頂いています。

たぶん、わたくしという平々凡々な社員と先ほどのA氏B氏であれば、部分的には私を信用しており、競わせたい。と課長は思っています。

つまり、「部下のあいつが・・・できているんだよな~」とA氏B氏に何かの機会で言って奮起の材料としてわたくしを使っているハズです。

世間の常識では、「そんなにあなた自身が優秀で能力が高いなら役職があって当然ですよ。その話しって脚色していないかな?」

となるのだと思います。

仕事にどっぷり浸かる日常を選べばそっちを選ぶ。

個人的には今の時間をお金や地位名誉以外の部分で有効に使いたいし、リタイア後に幸せでいたいので、その準備に時間を使いたい。なので、今の立ち位置は悪くありません。

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