”日日是好日”というのはお釈迦様のことばです。
お釈迦様のことばという意味でわたくしが感ずるのは、ドイツの哲学者カントのいう普遍妥当性。普遍なことばです。「普遍」は「不変」ではありません。
”日日是好日”は、森下典子さんの著書の名前でもあります。
森下典子さんの”日日是好日”をよんで、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」という映画を観たことがあります。
おなじ映画でも観るがわの観方で映画の見え方はかわる。物書き業を本業としながら、森下典子さんは茶道をつづけていました。
茶道からその「観るがわの観方」の変化を体感なさった。
同じ映画をみれば、いつみても同じような、似たような感動をともなう、と若い頃はおもっていました。けれど、じっさいにはゼンゼンちがう。
まわりも、自分もかわってゆくから。
森下典子さんの著書はエッセー。このエッセーから映画がつくられています。今年の元旦あたりでテレビ放映されています。(ちがってたらゴメンくさい)
黒木華さん主演。晩年の樹木希林さんも出演されています。あの「日日是好日」を映画にした人がいた!とうれしかった。大森 立嗣(おおもり たつし)さんが監督されていますね。駒澤大学ご出身だからかぁ・・・ふむふむ。
話しを戻しますね。
”日日是好日” をテーマにした経典は、中部経典のなかで4回でてきます。お釈迦様の時代から大事にされてきた。
「大事なことだからおぼえておきなさい。」という意味合いで、4回もくりかえし経典で言及された偈です。
過去を追いゆくことなく、また未来を願いゆくことなし。過去はすでに過ぎ去りしもの、未来は未だ来ぬものゆえに。
現に存在している現象を その場その場で観察し揺らぐことなく動じることなく、智者はそを修するがよい。
今日こそ努め励むべきなり。誰が明日の死を知ろう。
さらば死の大軍に、我ら煩うことなし。
昼夜怠ることなく、かように住み、励む。
こはまさに「日々是好日」と寂静者なる牟尼は説く。
何を励むのか?
日本にあっては1980年代まで伝わってきていません。(大乗仏教にはもちろんあるでしょうね。ホントの核心は伝わらなかった。最澄も空海も同様。だから日本になかった。初期仏教=上座部仏教は伝わらなかったんです。)
大正時代の研究者が日本で紹介していたとわたくしは記憶しています。昭和だったかな? 根源的な意味はその研究者も知らなかったと推測します。方法はまったくしらなかった。
総体としての初期仏教は、当時はまったく相手にされす、広がらなかったという意味です。なので1980年代まで日本で知る人はいません。本場仏教を学びに出かけたひとは例外ですけどね。
何を励むのか?
何だと思いますか?
仕事や勉強を励むことでしょうか? 親孝行? 子育て? 社会活動? 人助け?
励まないより励んだホーがいいでしょう。
でも、普遍妥当性としては弱い。
何なのか?
ヴィパッサナー瞑想を励め、といっています。
ふつうな生き方とは違います。人間にとってもっとも難しい。なので、ホボ近寄りがたい。つまんないですしね。繰り返し。
近寄ってもちゃんと励むひとは、ほんのひとにぎり。でも2022年の日本で静かなブームとなっているような気がします。
書店を覗くと、どなたでもホボ目の前にみえている。
「世界平和?」そんなちっぽけなもんじゃない。とおっしゃる長老のことばが最近すこしわかってきたような気がしています。
あなたが死ぬと名誉も財産も知識も家族もすべて手放すことになる。
ヴィパッサナー瞑想で得たものは質がちがうんで、死後も活きる。ホントの意味であなたの財産(性格としての資質)になるんです。人は死ぬ、殺されるけれど、自分のカルマ(業)で死ぬ。
世の中に絶望しているひとこそ関心をもってみるとイイ。絶望している人の中にホントを知りたい人がいる、と確信しています。
わたくしがソーだったから。
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