3日後に死ぬとしたら何をしますか?

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私は、慈しみの瞑想とヴィパッサナー瞑想をひたすらします。(終わり)

ただし、生活があるし、これからの人生を進めてゆかなければならないので、大体の時間は働いています。

コーしてブログに文章を書いているのは、これからの人生を進めてゆく為に必要だと考えているからです。煩わしくって面倒くさいのが人生です。

人生に余裕がない人はたぶん、仏縁を得ることはできないのだと思います。自分の人生を振り返ってみてソー思います。

とにかく仕事仕事仕事という日々も体験してきました。仕事の納期が迫る。明日の何時までにどこまで仕上げるか?

ということだけを考えて仕事ばかりの日々を過ごした時期には、仏典を読もうとか、慈悲の瞑想がいいですよ!といった本にであうチャンスは皆無だったように振り返ります。

初期仏教を知り、瞑想指導を受けて瞑想している人は、初期仏教の概要はある程度知っているのだと推測します。

人間の命とは噴水のようなものだ、と言うのが初期仏教です。

非常に不安定で、いつ水が無くなるかわからない。バーッと噴き出しているけれど、あっけなく終わる。

でも、普通の人々は、自分は死なないと思って生きています。

3日後に死ぬかもしれない、とは思っていません。私もソーです。

毎日流れるニュースでは、不幸な事故や悲惨な死を知ることができます。みなさん他人事。

自分とは関係ないと思って見ている。

でも、いつ同じようなことがあなたに、わたくしに起こらないとも限りません。世の中を悲観してみているのではなく、自分事にしてみると、悪い現実は自然にある、とわかります。

ほとんどの人は、3日後に死ぬとしたら何をしたら良いのかわからないと思います。

おいしいものを食べて死にたいとか恋人と愛し合いたいというのは、何をしたら良いかわからない、ということだと私は思います。

生きている生き物の中で瞑想できる生き物は人間しかいない。

だから、他の動物にもできることよりも自分という人間にしかできない事をしたいと私は思います。

人間が生まれた意味はない。生きている意味はない。死ぬ意味もない。

と、身もふたもないことを初期仏教では言います。

なので、3日後に死のうが、その先も生きようが、大した違いは無い。無意味なことの短さや長さを比較する事にも意味はないからです。

ただ唯一、人間を卒業する。輪廻というバグのあるループの世界から、バグを取り除いてきれいになって、脱出する事だけに意味がある。

その脱出は、世界平和というちっぽけなこととはわけが違うんだと、スマナサーラ長老は言うのです。

だから、隙あらば瞑想する。

戦争やらに心がもっていかれるよりずっと大切なことは有るのです。

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