断捨離したいと思ったことがありません。
シニアの断捨離っていうのは、生前本人遺品整理ということなのだと思います。このまま亡くなると親族の手を煩わせる。ならば、亡くなる前の本人がソノ御片付けをしておこう、という意味なんだと思います。
亡くなる前に、自分が入るお墓を生前に建てるようなことなんでしょう。
断つ、捨てる、離れる離す。
モノに対してコーしたことをして、気持ちがスッキリする。すると、本チャンの死。着ぐるみという人体を断つ、捨てる、離れる離すという死の予行演習をした気分にもなるのでしょうか?
しっかりと吟味して、足し算人生を引き算する。ホントに必要なものだけを残す。
振り返ると、思い当たることが1つありました。
私は正月の年賀状を今年止めました。何十年も前の会社で一緒に仕事をした後輩やらと年賀状のやり取りをしていたけれど、過去の自分と過去の同僚で関係があっただけで、以降に会ったりしていない。
万が一何かのタイミングで再会しても、ちょっと、当時のようにはなれない気がしました。どんどんと意識して自分を変えている。
昔懐かしむことはたぶん今後はしない。再会することもまずない。ならば、断って良い、と考えました。
日本の文化では、関係性を断つことは非情なんでしょうけれど、過去に盲目的に付き合うことのほうが余計な気がしたのです。
前回ご紹介した、水道橋博士の異常な対談でお話するみうらじゅんさんは「断捨離って行きつくところは人捨てだからイヤ・・・」と言っていました。
ドキッとしました。
断捨離に興味が無いと思っていながら、断捨離の究極である人を捨てる、ということを私はしてしまったナ、と思ったからです。
だからって、「ごめんごめん、また年賀状送るね~」とはできません。私の弁明としては、長く付き合っている友人がいませんし親友という友を欲しいと思ったこともない。なので、親友がいない。
みうらじゅんさんは、お知り合い、友をとっても大切にされ続けている方です。
私の場合は唯一親だけ。そして、お付き合いしている異性も含めても2人くらい。人とおしゃべりすることが好きではないから自然にコーなりました。
とすると、私の場合は、部屋に物が散乱していて本も置き場がないくらいあるけれど、究極の断捨離をずっと以前に済ませている。
だから、今風の断捨離に興味がなかったのだと気づきました。けっして真似はされませんように。
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